レヴィ=ストロースの言っていたこと
レヴィ=ストロースが冷たい熱帯で、呪術と科学は対立させるのではなく両者を認識の二様式として並置する方がよいとした。両者は有効性や成績から見ると同等ではないが、少なくとも知的操作の種類に関しては相違がない。知的操作の性質が異なるのではなく、それが適応される現象のタイプが違うのだと。
レヴィ=ストロースは、これまで知の巨人たちが気付いてきた哲学的体系を構造主義によって覆した人ですが、それはやはり未開の土地に赴いたことが大きいでしょう。
(...そもそも、未開人は、先進国に住む我々と比べて知性が劣っていると思っていた。遅れた、未発達の、無知な野蛮人だと決めつけていたのです。ですが、彼らの知性と私たちのそれは、比べてみたところなんら劣るところはなかったのです。彼らは知性を行使する対象が我々と違うだけだった。構造的にいってしまえば我々の知性は、同じ、ということです。
これは大きな発見なのでしょうか?くだらない差別心がなければ、そんなことは、もとよりわかっていたことなのかもしれない。私たちの目を曇らせているものは、なんなのだろう。それこそ、進んだ文明こそその一端を担っているのではないかとも思える...)
さあ呪術、という言葉が出てきた。個人的には呪術廻戦以外であまり聞いたことがない言葉だけど、わかりやすいのはシャーマンかな。
ゲザ・ローハイム博士は次のように書いています。
「あらゆる未開部族には呪医がいる。そして呪医が精神疾患患者または精神異常者であり、少なくともその治療行為が神経症や精神異常と同じメカニズムを基盤にしていることは容易に説明できる。人の集団はその集団の理念によって動き、理念は常に幼児期の状態を基盤にする」
「幼児性を持つ状態は成人になる過程で変化したり反転したりし、さらに現実社会に適合させる必要から変化する。それでも幼児性はそこにあり、人の集団が存在するために必要な、目に見えないリビドー的結び付きをもたらす」
したがって呪医は、その社会の大人ひとりひとりの精神(プシケ)に存在する象徴的な幻想を抱くシステムを、目に見えるようにし、周知させるだけなのだ。
「呪医は、この幼児性を持つ社会的行動の主導者であり、共通する不安を照らす指導者である。呪医は、他の者が、獲物を追い、普通に現実と戦えるように、悪魔と戦うのである」
そういうわけで、どこの社会でもかまわないが、誰かが自ら、意図的でもそうでなくても、自身の心の迷宮に続く曲くねった道を下りて、闇への危険な旅に出るとすれば、すぐに象徴的な形の光景のなかにいることに気付く。
前にシャーマニズムについて書いたやつ
だからシャーマンの儀式は古来から受け継いできたまま変わってないんだな。そりゃそうだ。だって人間の脳味噌が変わっていないし、恐怖心や不安を払拭するための技術として有効に機能するものなんだから。こっちが進化してないのに進化させる必要ないしな。
進化していくテクノロジーが我々を置いて日々さらなる進化を辿っていく中で、進化しない脳で立ち向かっていく我々がとるべき行動、そしてその未来とは。はあ、しりたくもありませんね。(一杯いっぱいで投げやり)